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藩の財政も助けた
北前船主たちの町
加賀市の橋立町、瀬越町(せごえ)、塩屋町などの海岸地方は古くから「浜方」(はまかた)と呼ばれています。
昔この浜方は、北前船主を輩出したところで、北前船の古里として知られています。
藩政末期、膨大な赤字に悩む大聖寺藩が、かろうじて財政を維持できたのは、これら北前船主たちからの献金があったからと言われています。
北前船とは、江戸時代中頃から明治時代にかけて、大阪を基点に瀬戸内海から日本海を抜けて北海道までの航路を、積荷を商売しながら各地の港に寄港した商船のことを言います。
1796年の「船道定法記」(ふなどうじょうほうき)に寄れば、当時の橋立村には48名もの北前船主がいたと記録されており、明治から大正期には「日本一の富豪村」として広くしられていました。
今でも、往時の面影を残す豪壮な船主邸や高く積まれた石垣・土塀などが残っています。

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